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Only those who do nothing make no mistakes.

2009年09月 | ARCHIVE-SELECT | 2009年11月

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さらば新潟 ~今度こそ~

昨日が工場の最終出社日でした。
研修が終わり、実業務に投入されて最初の1年間を工場で油まみれになりながら過ごせたことは、きっと今後のキャリアに役立ってくることでしょう。

そして今日は千葉に引越し。新潟の家は空になりました。
また、新たな生活が始まる。
次はどうなることやら。

とりあえず、東京にいる人たち遊んでください。
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| ネタな日々 | 21:50 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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新聞の見出しの付け方

不正解はあるけど、正解はない。




新聞の見出しを書いている人が、先輩からいわれた言葉。

新聞はアナログな媒体であるが故に、ネットのアクセス数のようなダイレクトなフィードバックが受けられない。

購読数では記事単体の評価はできない。どこまでいってもプロダクトアウトであらざるを得ない。

だからこその冒頭の言葉である。マスに対する影響を行使できる媒体であるからこその守り、という感じがする。



だがそもそも、情報に攻めは必要なのか?

事実を伝える情報が1次情報、書き手の主観が加わったものが2次情報(社説など)とすると、

本来必要なのは1次情報であり、読み手がその1次情報を判断すべきではなかろうか。

しかし現代は情報が溢れ、読み手が全ての1次情報を判断していては時間がかかりすぎる。


だからこその2次情報であるが、扇動の可能性も含む。

含むというか現に世論はマスコミに操作される。

それはもう致し方ないこと。

だからこそプロダクトアウトであるが故の自己責任が大きいと感じる。


実際、1次情報であっても文字にした瞬間にそれは2次情報になる。

SVOのSとOを入れ替えるだけでガラッと印象が変わる。

人に伝えるという行為の責任を感じる。

だからこそ、やりがいはあると思う。

ただ、おもしろそうとは思うし文章を書くのは好きだけど

本当に求めている喜びはそこじゃないなーと感じた。



コミュニケーションを行う瞬間に話し手は情報を発し、聞き手は受け取る。

その際にどのような形で情報を提供するかによって聞き手への影響の度合いが変わる。

1対1のコミュニケーションであれば、その反応はダイレクトに返ってくる。

その反応による自己の喜怒哀楽こそが存在証明を確かめる方法だと思うし、それが日々の充実につながると思っている。



昔は漠然と大きいことがしたいと思っていたけれど

どうもそれは的を得ていないようで

大きければその反応の振れ幅が大きくなるというだけで

その実、求めている本質的な部分は「反応」そのものだ。



仕事をする上で人と関わることは切っても切り離せない

満たそうと思えばどんな仕事でも満たせる条件である

そうであるが故に意識しておかなければならないことである。





※ごめんなさいタイトルほとんど関係ないです

| | 22:26 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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教育と環境と人の心と自分の存在

新潟にきて1年間、がむしゃらに働いた。

好きなことを好きなだけさせてくれる職場と
(ようするに放置)
なんだかんだで見守りつつ泳がせてくれる上司のおかげで

けっこう成果を出したと自負している。



製造ラインの中でも、僕が関わっている小さな部分に限定してだけど

管理システムも自分でプログラム組んで刷新したし

より効率が上がるための道具だって色々作った。

他工程との連携もよくなる仕掛けをした。

工場の人も変わった。

責任を持って仕事に臨んでくれるようになり

すごくやりやすくなったし、実際仕事もうまく回るようになった。

ずっと赤字でお荷物と言われてたけど

7月には粗利でどうにか黒くなった。

嬉しかったし、自分がやってきたことは間違ってなかったと感じた。

自分で作って、やってみて、うまくいったら工場の人に引き継いで、

ってやってきたから今月で帰ることにはなったけど

別にあわてることもなかった。作業的な部分は全部できる。

だから、問題ないだろうと思ってた。

うまくやれるだろうと思ってた。









思ってたけど、そうでもないことがわかった。










僕がいた工程は

管理者が管理を放棄していて、

責任を全くとらない状況だったからひどい有様だった。

そんな中で僕が堤防になって

ケツ拭って、ケツ叩いて

現場の人とどうにかやりくりしてる状態だった。

でも、現場に「どうにかして踏ん張る」っていう文化が根付いたと思ったから

安心してたけど

僕が関わらなくなったらあっという間に元に戻った。





「トップのカラー」って組織に出ると思う。

教授の人柄が、研究室の雰囲気になってるって大学のころは思ったし。

会社だってそうだ。

管理する側の人の意識ってのが下に広がる。

いうなれば僕は外の人間だし

それにずっと抵抗して改善を進めてきた。

でもやっぱり上が変わらないと何も変わらないんだ。

元に、戻ってしまったんだ。



僕に言われてるから仕方なくやってる

ってことだったわけだ。結局は。

変わった、成長した、と思ってたのは僕だけだったんだ。









リストラがあって

はっきりいって、ここで踏ん張らなければ確実につぶれる。

それなのに

それなのにこの有様はなに?

僕は工場のためにと思ってがんばってきたのに

結局それはいらなかったの?

けっこう、ショック。














人が自発的に動けるようになるような
コンサルティングがしたいと思っているけれど
本当に本当に難しい。

仕事以外でも同じような場面に遭遇してて
壁にぶちあたった。
自分の無力さに嫌気がさす。いても意味ねー。

環境によって人は変わるんだってのはわかったけれど
その環境を構築するのはすんごく難しいし
人の気持ちが変わるのはもっともっと難しい。

たぶん自分のやりたいことの先の先にあるのは
教育なんだと思うけれど
道は果てしなく遠い。

| ネタな日々 | 20:54 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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